そい じょ 

川崎さとみのプライベートブログです。 

思考のフォルダを上げる

 昨夜、実は凹んでいた。

昼間、第5回DAYS JAPAN国際フォトジャーナリズム大賞の選考会にお手伝いに行って、約500枚の写真を見たからだった。http://www.daysjapan.net/taishou/index.html

 

 毎年、世界の一流フォトジャーナリストから、沢山の写真が応募されるこの写真賞は、年々、国際的な評価も高まっており、そのお手伝いが出来ることは貴重な経験である。

 撮影者に力がある写真は、どれも強烈なメッセージを放っていて見る側にもエネルギーが要る。

 

 昨年は、四川大地震ミャンマーのサイクロンなどの自然災害(実質は政治的な人的災害)に加え、ロシア軍のグルジア介入、イスラエルのガザ攻撃といった事件が続いたからだろうか、悲惨な写真が多かった。

 死体、死体、死体の氾濫・・・、全く人は何をやっているのだろう?

 

 写真は「ある瞬間の事実」を切り取るが、同時に別の視点から撮れば違ったメッセージになることもある。

真実を語ると共に、時には嘘つきにもなるのである。

だから、見る者に「思考の軸」がなくてはならない。

 

 しかし悲惨な写真を目前に突きつけられると、軸がぶれてしまう。

その直接原因に対して「こんなことする奴らは許せない!」と、つい感情的になってしまうのだ。

撮影者の憤りや恐怖、哀しさや猛々しさにも同化してしまう。

 

それは見る者の心を、ザックリとえぐってくるので、痛い。

痛いから修復しようと防衛本能が働く。つまり・・・慣れるのだ。

死体を見ることに慣れてしまう。慣れてはいけないことなのだ。

 

私は昨日、膨大な数の悲惨な写真に打ちのめされ、それに慣れまいとする葛藤で、すっかり凹んでしまった。

 

「人間の尊厳」や「逞しさ」「温かさ」「荘厳な自然」の写真が見たいなあと思った。

 

フォトジャーナリストの桃井和馬http://www.momoikazuma.com/index.htmlに、そのような話しをメールしたら、「思考のフォルダを上げる」というメッセージが今日届いた。

 

 桃井氏は数年前、私が平和をテーマに「赤い水」という作品を創った時に写真を提供して下さった方で、以来、何度か仕事をご一緒してきた。

力強く温かい写真を撮る「軸のぶれない」人である。

 

 彼の言葉 「思考のフォルダを上げる」とは、つまり「地球規模で思考する」というような内容なのだが、最近よく耳にする「グローバルな視野」のイメージを、より具体的に表現する絶妙な言い回しだと思う。

 

 桃井氏の考えを要約すると ;世界で起きている色々な事件は、国家・民族・地域・・・とフォルダを下げて思考が細分化させられた結果、増加した「憎しみ」に起因している。よって逆に フォルダーを上げると「平和」が構築できる。例えば、地域単位より国家、国家よりアジア、アジアより世界、世界より地球全体という、命単位の最上位のフォルダで「深刻な環境破壊」と向き合って、互いに手を取り合わなくてはいけない時代に入っている。: ということだ。

 

 「自然を見つめる中で、その平和を構築したい」と、彼は言う。同感である。
 
 写真を見ると、それを撮った人の心に一瞬同化する。
だから桃井氏のメッセージと写真で、今日は復活したのだった。
 
悲惨な現実から目を逸らしてはいけない。
でも、誰にでも本来備わっているはずの「プラスの可能性」も信じないと、凝視し続けることが出来ない。
 
何より、慣れてはいけない。麻痺してはいけないのである。