そい じょ 

川崎さとみのプライベートブログです。 

原子力発電所と海水浴場

 私は京都府の東舞鶴で生まれ育った。

高校一年生の時、母が再婚して、すぐ隣の福井県大飯郡高浜町に引っ越した。

当時、高浜町は海水浴場として有名で、毎年、夏ともなれば訪れる海水浴客たちで町は活気に溢れ、私も夏休みには浜茶屋(東京では海の家というらしい)でアルバイトしたものだった。

近所には、夏季旅館、民宿も多く、夏だけで一年分稼ぐという話しも聞いたことがあった。

 

 私は、5月頃の気温が高い日に、まだ人気のない海に入るのが好きだった。

実際、殆どカナヅチに近いので“泳ぐ”のではなく“入る”のであった。

母の住む家は、海岸から1、2分の距離、水着のまま往復できる近さにある。

 

 その後、19歳で上京した後、故郷には殆ど何年も戻らず、20代、フラメンコ一辺倒の生活だった頃は世事にも疎かったので、自分の故郷が原発銀座と呼ばれる地域に変貌していく経過は、全く知らないで過ごしてしまったのだが、娘が産まれ、里帰りした夏に浜辺に行ってみると、かつて賑わっていた海水浴場はすっかり寂れて、もはや人影も浜茶屋も殆ど見かけない状態であった。

「海のきれいな高浜町」という町の標語は、今は昔である。

 

 7年前にDAYS JAPANを知り、広河隆一氏の著作を読むにつれて、チェルノブイリ事故がもたらした被害の甚大さや、原発の抱える問題点の大きさを知った。それは故郷の海と町、そこに住む人々と重なって、私にとって他人事ではない問題であった。

かと言って、何か出来る訳ではなし・・・。

今、現在進行形で新たな原発建設に反対している祝島に人たちを、応援するばかりである。

原発は、確実にそこに住む人々の海と生活を奪うから。

 

 東京に住む今は、活断層の真上に建っているという浜岡原発が最大の脅威だが、それでも、日々の生活の中では、忘れている時間が多い。

忘れて過ごせる内は、まだ良い。原発事故は、ひと度起こってしまえば、永久に片時も忘れられないだけの被害をもたらすのだ。

人類は、未だ、核廃棄物を無害に処理する術を持っていないにも関わらず、核に触れてしまった。

原発が“トイレ無きマンション”と言われるゆえんである。

 

 日本のみならず、もうこれ以上どこにも、原発を作ってはならない、と私は考えている。

 

 池田香代子さんのツイッターから飛んだ、いしだ壱世さんのブログに、興味深い記事があったのでご紹介したい。

http://ameblo.jp/isseiishida/day-20110304.html