枝野氏の会見では 「20km以内は避難.20-30kmは屋内待機.外気に触れない.換気もしない.ただし線量率は遠方に行けば減少するので,ただちに問題があるわけではない.」 とのこと。
正論。東京など250kmの位置だから、都内のあちらこちらで、平時と比べて数倍、数十倍の線量が測定されていても、それは今の段階で緊急に心配するには及ばない。
さて、それにしても、こんな未曾有の事態に、通常通りの授業を続けている学校の神経ってどうなのか?
起こってしまった大震災、進行中の原発事故について、急遽、その学齢なりに理解できるレベルでの、理科系の特別授業をするとか、社会、総合でボランティアの仕方や有事における行政の役割を教えるとか・・・。
自衛隊、国際支援、復興と経済、自然界に及ぼす影響、等々についてでもいい、今こそ教え、伝え、共に考えなければならないことって山のようにあるのではないか?
臨機応変な対応って出来ないのか?
私は、一介の舞踊教師だが「教えるには時期がある」というのを常々、強く感じている。
百の言葉を尽くしても、受け止める側と「機」が合っていないければ、中々人は伸びない。
同じ様に教えても、届く時と、届かない時。「機」がある。
こんな大切な時を平常通りのカリキュラムで、過ごしてしまうというのはどうゆうことか?
先生方にそういった「教える面での能力が足りない」ならば、ずっとホームルーム(総合?)でも良いではないか?
作文を書いたり、ディスカッションするだけでも、今はその方が大事ではないか?
突然、家も家族も仕事も・・、何もかも失った被災者の方々や、今も命を危険に曝して炉を守ろうとしている人たちのことを、何で、もっとちゃんと教えない?
私は「思いを寄せる」「共感する」というような情緒教育こそ、決して家庭任せにしてはいけないと思う。
個々の家庭は、両親共にTVの前で、救助の成り行きを見守っていられるような家ばかりでは無いのだから・・。
休校になればなったで、家で独りで過ごすしかない子もいるのだから。
学校がやらなくて、どこでやる?
都内に住むある人から「今日も、子供達が半袖半パンで校庭で授業しているのが見える」と、知らせが有った時、放射能の危険性云々ではなく、その「杓子定規さ加減」に猛烈な違和感を感じた。
柔軟さの足りない教育体制から、柔軟な子供は育たないのではないか?
この大震災を、遠くから眺めてはいけない。
放射能が南下しようが、洋上に抜けようが、そんなことばかりに気を取られていてはいけない。
(それすら無頓着な人も又どうかと思うが・・)
蛇足だが・・・、報道でよく見る誤記。
原発事故で憂慮すべきは「被曝」であって「被爆」じゃない。
原発にミサイルを打ち込まれたのなら「被爆」。
そういう、私も6年前、広河隆一氏に指摘されたのだが・・・、プロのジャーナリストなら知っていて欲しいかな?