そい じょ 

川崎さとみのプライベートブログです。 

飯舘村で踊った8月14日

 南相馬市の原町第二中学校で踊り、一夜明けて、部屋の前で自転車を畳んでいると、ホテルのオーナーから「いい自転車だねぇ」と声を掛けられた。娘を褒められたようで、嬉しい私。
「今日は、どうなさる?」
飯舘村で踊ります。」
「あそこは……もう、誰も居らんやろう」
「お盆の墓参りに、避難所から一時帰宅している方々の集まりがあるのです。今は娯楽と呼べるものが何も無い所ですから…。ジャーナリストの友人から『芸のある人来て』と呼びかけられて、『私で良かったら』と手を挙げたのです。」
「あの人達は、ジャーナリストかね」
「そうです」
「あそこに立っとる人は、南相馬の市長やが、ちょっとなら話し聞けるかも…」
「うわぁ!すぐ呼んで来ます!」

 と、いう訳で、ホテルの前で即席の記者会見が始まった。(インタビュアー: 桃井和馬氏・野田雅也氏・佐藤文則氏)
 私はジャーナリストではないから、一歩下がって彼らの会話を聞いていただけだが、市長さんの憤りは、ひしひしと伝わってきた。

地震津波の被害だけなら、復興は幾らでも進むはずだった。支援物資も届くはずだった。しかし、原発事故のせいで物流が完全に止まった。操業できる工場も、停止せざるをえなくなった。原料が来ない。製品を送り出せない。人は、仕事を失ったらどうなると思うのか?生きてゆけない。たとえ、金をもらえたとしても、長期に渡ってそんな施しを受けるような生き方を続けられるものか。人は仕事を持ってこそ人間なのだ。誇りを持って生きるから人間なのだ。私は農家の出身、飯舘村の村長は酪農家。皆、汗水垂らして働いて生きてきた。東電から、金をもらったことは一度もない。役人らは、20kmに入ろうとしない。現場を見ろ、と言いたい。彼らは共食いする豚や、飢え死にした家畜に湧いた蛆を見たのか。家族同様の牛を殺処分する酪農家を見たのか。以前は、上の方にいる連中をそれなりに賢い人達だと思ってきた。しかし、実に役に立たない連中だと判った。東京で今後の対策をどんなに議論したって、現場感覚のある人でなければ、何も直せない。」

 市長の話しはちょっとでは終らなかった。詳しい報告はプロに任せたいと思う。

 飯舘村に移動した私たちは、今回の帰省者の集まりを企画した長谷川健一氏を訪ね、そこでJVJAの森住卓氏・古居みずえ氏らと合流した。

 長谷川さんは、前田行政区長、福島県酪農業共同組合理事等々兼任されてきた人だ。その聡明さと責任感の強さ故に、この怒涛のような五ヶ月間を中心者として戦い抜いて来られた。でも、いつ迄戦い続けなければならないのか。出口は見えない。

 長谷川さんの自宅は、立派な構えだ。墓地のある山や広大な畑も、先祖代々受け継いで来た大切な財産だ。それらを全部捨てて、今は福島市仮設住宅で暮らしておられる。空っぽになった牛舎や、雑草に覆われた畑が延々と続くのを見て、彼が捨てさせられたものの大きさに、唖然とするばかりだ。

 長谷川宅から車で数分、小高い所にあるグランドは、かつては運動会やお祭りに使われてきた。その日は、避難所生活でバラバラになった人達が、近況報告などし乍ら、バーベキューを味わおうという企画。

 丁度、真昼の太陽が高く、猛暑という言葉がピッタリの暑さ。私は、化粧や着替えの支度があるので、出番になるまで長谷川さんのワゴン車で待避することになった。
炎天下で踊る覚悟もしていたが、開会から一時間ほど経つと、薄い雲で日射しが少し緩んだ。「よし!今!」と、本番にしてもらった。

 グランドの土の上、ダンボールを緩衝材替わりにし、コンパネ2枚だけ敷いた舞台と、CDプレーヤーをカラオケ用のスピーカーに繋いだ音響という設定は、私のフラメンコ人生28年で最悪のコンディションに違いなかった。物質的な環境としては。

 そもそも野外で踊るというのは、技術的に厳しくなるのが常である。視点が定めにくく、集中力が落ちる。しかし、そんなことは言っていられない。

  視点を石に定め、山に定め、しっかり見つめている人の顔に定めて踊る内に、本来、フラメンコはこんな風に大地から生えてきたものに違いない、と私は確信した。
そして自分が、そんな逞しい芸能を自分の表現手段として持っていて、本当に良かった、と。

 踊り終わると化粧を落とし(つまり最早、さっき踊った人とは判り難いスッピンで) 皆さんと一緒にバーベキューをご馳走になった。因みにそのグランドは、5μSv/h(飯舘村平均2.6μSv/hの約2倍)だったと、後で桃井氏が教えてくれた。

 今の練馬区平均は、約0.1なので、50倍ということらしい。3.11以前の0.036と比べるなら、138倍。 もしここで、テントを張って生活すれば、一日で120μSv ,一ヶ月で3600μSv :3.6mSv ,一年で43200μSv :43.2mSv …。

 このように線量は、同じ地域の中でも高い所、低い所の差が著しい。農業のように野外で働く人にとって、その差は深刻である。

 既に、飯舘村の農産物は、出荷禁止になっている。そして花も農産物。花を食べる人は居ない(つまり内部被曝には繋がらない)のに、農産物だから出荷出来ないのだ。お盆に合わせて丹精に育てていたという花々が、飾られることなく枯れていく。私は素敵なトルコキキョウの花束を頂いた。

 



 

長谷川宅では、美味しい “トマトジュース” も飲んだ。その爽やかな甘さ!…しかし来年分は無い。

 

 

 

お土産に頂いた “猪カレー” は、野生の猪で作られたもの。《さんざん畑をあらしました…つみほろぼしに食べてちょうだい》というパッケージの文句が最高でイラストも可愛い。これも来年分は無い。

 


バーベキューをしたグランドの周辺は “前田観光わらび園” で、毎年、季節になると1000人が訪れたという。そこを来年訪れる人は居ない。

 「色んなことをやった、皆で知恵を出し合って…」とは、長谷川婦人の言葉。
その通り!自然と共生して農業を、酪農を守ってきた彼らは、知恵ある人々だ。

しかし、現代の知恵が集約されたが如き原発は、果たして本当に知恵ある選択だっただろうか?この後に及んでも、未だ推進を唱える人は、一度でも現場に入って、全てを判った上で話しをしているのだろうか?

 14日の集いが閉会される時、挨拶に立った農家の壮年が涙声になった。「福島には戦中、戦後の食糧難を支えたという誇りがあった。我々は誇りを持って百姓や酪農をやってきた。それを、国はあっさり捨てた。土を返せ。」

 この日は、朝日新聞やTV朝日ら、大手のメディアも来ていたが、彼らの声はどこまで報道されるのだろう。→その後、WEB記事発見 でも壮年の言葉まで言及せず。やっぱりね。http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001108160002 この記事の写真で、写っている人々が爆笑になっているのは、先の壮年を私が舞台に引っぱり上げて、無理やりフラメンコを踊らせてしまったから。お茶目なおじさんだった。

 バーベキューが終わって、長谷川宅に戻ると、山本晋也氏率いるワイドショーのチームが取材に来て、長谷川さんに入念な取材をしていった。この“カントク”なる山本氏を、私は今まで只のスケベオヤジと誤解していたが、それはとんでもないことで、恐ろしく聡明かつ気骨のある魅力的人物であった。

 スタッフが作業している待ち時間、延々2時間程?疲れを見せることもなく、今までの色々な取材体験や創造者としての理念、芸術観等々、幅広く皆に話してくれたのだが、その話術たるや見事なもので、またそれは単に話が上手いということだけでなく、氏の人間性から滲み出る魅力が成せる技なのだった。

 年齢を重ねるとは、また大人になるとはかくあるべし、と思わせる人と出会ったのは、久し振りであった。

 今週水曜、TV朝日にてお昼のワイドショー「ワイド!スクランブル」で放送されるらしい。放送時間は15分間とのことだが、取材に掛けた時間は、7時間以上に及んでいる。 長谷川さんへのインタビューが中心になるだろうこの番組、ぜひ観て頂きたい。

 福島に親戚や友人が居る人なら、現状は切実に伝わっているかも知れないが、その他大勢の人にとって、やはり他人事に過ぎないのを、私は東京でひしひしと感じている。
 このブログを読んでくれている人は、殆どが、私を直接知る人たちばかりであろうから、私が今回、被災地で感じた想いに、きっと想像力を働かせて寄り添ってもらえるものと期待している。

 “まだまだ、終わりが見えない”ということを、どうか忘れないでいて、そして重く受け止めて下さい。