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 そい じょ 

川崎さとみのプライベートブログです。 

『春を恨んだりはしない』池澤夏樹

池澤夏樹の新刊『春を恨んだりはしない』を読んだ。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111005/art11100507520004-n1.htm

付箋を貼った部分を紹介してみたい。

p60 我々は諦めるという言葉をよく使う。語源に戻って考えれば、「諦める」は「明らめる」、「明らかにする」である。事態が自分の力の範囲をこえることを明白なこととして認知し、受け入れ、その先の努力を放棄して運命に身を任せる。
 我々は諦めることの達人になった。

p76 人間は仲間に手を差し伸べる存在である、というところに確信が持てればいいのだ。

p96 社会がどう変わるか、は予測ないし予想である。どう変えるか、は意志だ。我々はずいぶん意図的に社会を変えてきたのではなかったか。自分が生きた数十年を振り返るとそういう思いがする。あるテクノロジーを選び、その普及を政策として推進する。するとそれは実現するのだ。文明とはそういうことである。ー中略ー

  テクノロジーの面においてはその気になれば社会はがらりとかわる。原発から再生可能エネルギーへの転換も実はさほどむずかしいことではないのではないか。ー中略ー

  それならば、進み方向を変えた方がいい。「昔、原発というものがあった」と笑って言える時代の方へ舵を向ける。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく屋根にソーラー・パネルを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデラート・カンタービレの日々。
 それはさほど遠いところにはないはずだと、この何十年か日本の社会の変化を見てきたぼくは思う。

p112 人々の心の中では変化が起こっている。自分が求めているのはモノではない、新製品でもないし無限の電気でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば(さとれば)生きる姿勢も変わる。
 その変化を、自分も混乱の中を走り回りながら、見て行こう。ー引用以上


 私は最近、事故が収束に向かっているかの如く報道されている風潮を危惧する。
まだ、何も安心出来るものではないが、つまりこれは、もう皆が心配疲れしてしまったのにつけ込んで忘れさせようとしているのではないか、と思うのだ。

 「忘れる」というのは自己防衛本能のひとつだ。人は忘れなければ正気を保って生きていけない。私達は日本という世界有数の脆弱な地盤の上になるこの国で、歴史上何度も「地震」と「津波」を経験し、そして忘れてきた。自然災害は発生自体を防ぐことが出来ない。だから「諦める」「忘れる」という、これまた人間の本質に自然と備わった手段で応じてきた。

 しかし原発災害による悲劇は、私達がどんなに「忘れ」「諦め」ようとも情け容赦なく襲ってくる。放射線は己の半減期にだけ忠実なのだ。

  3.11の夜の恐怖感を、私は決して忘れない。後に行った飯舘村の風景を、決して忘れない。
そして、今も命懸けで作業している人たちの存在を、決して忘れてはいけない。