そい じょ 

川崎さとみのプライベートブログです。 

昨日は母の日だったから。

  昼にイベントの仕事で外出し、そのまま池袋の古書店でスペイン関連のDVDや本を物色すること小一時間。 

 気持ちのいい日だったので公園で勉強したついでに、エスペランサにも足を延ばすことにした。
 
 気をつけないと、何十時間でも何日でも家から一歩も出ずに本と睨めっこしてしまうので、外出したついでに動くことにしている。
 
 事前に人と約束したり、予約を入れたりするのは好きではない。予定に縛られてしまうから。
おのずと見過ごすイベントは多くなるが、「これだけは見逃せない」ものに絞って動く方が感動も大きい気がする。
 
 エスペランサを出た後、郷里の母からの着信履歴に気付いて、数ヶ月ぶりに電話をした。
用件は母の日に送ったささやかな品物が届いたとの知らせであった。
 
ここ数年の母からの礼は大体いつも同じだ。
「勿体無くて食べられない」
「自分は何もしてあげられないのに」と言う。
 
私は「大したもんちゃうから、さっさと友だちと食べな。腐るで」と言って早々に切る。
 
母は老い、私も老いへの道を自覚している今、「時間」というのは何にも勝って貴重である。
限りある時間を何に費やすのか、かつてないほど意識して日々を過ごしている。
 
そして母にとっての時間は、私にとってのそれよりも多分短い。まあ、多分だが。
 
 自分の子供の幼年期に、良い感環境を与えることが出来なかった母親の痛みというのは、もしかしたら当の子供のそれより深いところで、むしろ歳を重ねるごとに消し難いものになっていくのではないか、という気がする。
 
だから、せめて私は彼女の余生からそうした無念さは取り除いてあげたいと思う。
相手が生きている内に伝えておきたいと思う。自分自身のためにも。
相手を赦さなければ自分を癒やすことは出来ないから。
 
母は私を産んでくれたのだが、私は母を選んで生まれてきたのだ。
 
 
 そんなふうに想いを巡らしつつ、遅い夕食を済ませて荻窪からタラタラと1時間もかけて歩きながら帰宅すると(気持ちの良い夜に歩くのが好き) 時間は既に夜中の1時。
この時間には、まだ娘は戻っていないことが多い。
 
しかし昨日はキッチンのテーブルに花とケーキが置いてあり、娘は既に爆睡中であった。
メッセージは「お母さんありがとう」とかではなく、「晩ごはん食べに行こうね」
 
 
……ごめんね。あんたは何だって、私を母に選んだんだろうねぇ。
ともあれ、生きててくれてありがとう。